和合亮一著『詩の礫』(徳間書店、2011年6月発行)、まえがきとして「言葉の中の〈真実〉」という文章がある。
3月16日の夕暮れ。最も放射線数値の高い福島市の部屋で一人きり、パソコンの画面を睨んでいた。アパートの二階に位置しているが、隣近所に人の気配がない。直前の数日前に原子力発電所が白い煙をあげたから、一時的にでも避難をしていたのだろう。私は父や母や、職場があるから、福島に残ることを決意した。そして絶望していた。「これで、福島も、日本も終りだ」
この絶望感を誰かに伝えたい、書くということにだけ没頭したい、という気持ちから和合はツイッターに投稿を続ける。その最初の部分。
震災に遭いました。避難所に居ましたが、落ち着いたので、仕事をするために戻りました。みなさんにいろいろとご心配をおかけいたしました。励ましをありがとうございました。
(2011年3月16日4:23)
本日で被災六日目になります。物の見方や考え方が変わりました。(2011年3月16日4:29)
行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。
(2011年3月16日4:30)
放射能が降っています。静かな夜です。(2011年3月16日4:30)
ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか。(2011年3月16日4:31)
ものみな全ての事象における意味などは、それらの事後に生ずるものなのでしょう。ならば「事後」そのものの意味とは、何か。そこに意味はあるのか。(2011年3月16日4:33)
凄いなと思う。その時その場の当事者として発せられた言葉にはまぎれもない真実性がある。その夜、和合が発したメッセージは40数個になった。ツイッターにはフォローという機能がある。全国から171人のフォローの申し込みがあり、翌朝には550人に増えて5月現在では14000人を超えるという。和合の言葉は震災について詩人が発信したもっとも切実なメッセージとして知られている。
「バックストローク」35号「アクア・ノーツ」の巻頭は横澤あや子の作品である。
密室のすぐれた月をくれませんか 横澤あや子
満ち潮から空の沖から御用聞き
瓦礫という花かんざしができあがる
きまじめな抽象画だと海は言う
棺のなかのみちのく光合成中
石田柊馬はこんなふうに書いている。
〈 多くの人が「詩の礫2011.3.16―4.9」(和合亮一、「現代詩手帖」5月号)を読んで、おろおろとしたことだろう。八戸の横澤あや子は川柳を書いた。無慈悲に命を奪い、人間が生きるには不可欠の「密室」を破壊したちからを、天然自然の荒々しさが恨めしい 〉
和合亮一は前掲書で「余震はひっきりなしに私の〈独房〉を襲ってきた」「何も考えなかった。〈独房〉の中で私が想つたのは、言葉の中にだけ自分の真実がある、ということだった」と述べている。横澤の「密室」はこの「独房」に通じるかも知れない。「瓦礫」を「花かんざし」にたとえ、新緑の東北を「棺のなか」と見立てる。ここにあるのはモラルや標語を越えた、横澤の表現者としての言葉である。
関悦史はブログ「閑中俳句日誌(別館)」(8月9日)で「バックストローク」35号を紹介しながら、横澤の句と柊馬の評に触れ、「川柳から震災への反応がここに出てきていた」と述べている。「ただし岡山に本拠を置く雑誌であるせいもあろうが、同人全体としては震災の影響が直接見える作は多くない。」
確かに関の指摘するように、震災を直接的に詠んだ句は本誌にはそう多くはない。けれども、直接・間接を問わず震災の影響を受けた句はけっこう見られる。
今宵あたり13ベクレルの月夜かな 渡辺隆夫
二号機に入っていったうさぎ跳び 湊圭史
嘔吐する海天も地も捩れ 松永千秋
ふくろうに千年前の闇が来る 広瀬ちえみ
生き延びよ仏の首をすげ替えても 松本仁
渡辺の「13ベクレルの月夜」は俳句の季語「十三夜」を意識している。広瀬の「千年前の闇」は電力が消えた太古の闇の深さを詠んでいる。広瀬はまた「春眠をむさぼるはずのカバだった」という仮想によって逆に悲惨な現実を指し示す。
関はさらに拙論「川柳とイロニー」に触れ、〈 惨事に対する川柳の機知的な切り込みは、俳句・短歌に比べていかにも軽い。その軽さに深さ、鋭さを潜ませるためのヒントがイロニーの「非・一読明快さ」なのだろう。それは知性の沈黙の領域の大きさを窺わせる 〉と述べている。
関の指摘に触発されて、川柳における震災句のさまざまな問題性が浮き彫りになってくる。
まず、当事者の詠んだ震災句として「杜人」230号(2011年6月発行)が思い浮かぶ。「杜人」のことは本欄で何度も紹介してきたが、仙台から出ている川柳誌だから、まぎれもない震災の当事者である。
ゆめのようなゆめかもしれぬゆめをみる 佐藤みさ子
なつかしいひとだったのだ地震来る
悲惨な現実を目のあたりにして、これは夢なのだと思うのは精神の防御反応であるだろう。カルデロンの『人生一夢』という戯曲において、塔に幽閉されている王子は、それを夢だと思いこんでいる。けれども解放されて彼は王となる。政局が変化して彼は再び幽閉される。王であったことがひとつの夢なのだ。王であったことと幽閉されていることと、どちらが夢でどちらが現実なのか。川柳界きってのアフォリズムの使い手である佐藤みさ子が震災に対峙して書いた決死の箴言である。
二句目はさらに衝撃的である。「なつかしいひとだったのだ」と「地震来る」との間には切れがあるだろう。けれども、私は「なつかしいひと=地震」という読みの誘惑を感じる。千年に一度やってくる地震。それは、なつかしい人だったのだ。
表現は悲惨な現実のあとを追いかけるものなのか、それとも悲惨な現実を越えることができるものなのだろうか。
和合亮一は「里」101号で「俳」とは何であろうかという定義について次のように書いている。
震災後の南相馬市市街地には今、「ありがとう」という旗がそちらこちらに立っている。初めは天災と人災の甚大な被害を抱えてしまった街に、とてもそぐわないものと感じた。街の青年たちが自発的に「ありがとう」という言葉を街のスローガンに掲げたいと皆に働きかけたらしい。彼らに直にうかがってみたところ、救援や支援、公務にあたっている方々に「ありがとう」の気持ちを持つことから、震災後の生活へのまなざしを変えて生きたいと語ってくれた。驚いた。そして私はこの若者たちに、無意識にも「俳」の精神を教えてもらった気がした。
もしこれが「俳」の精神なのだとすれば、川柳の「イロニー」とは少し異質である。
当事者性と第三者性、対象との距離の取り方、悲惨な現実を目のあたりにしてそれでも笑えるのかどうか、川柳の得意とするチャカシや批評性が震災から立ち上がろうとするモラルとどう抵触し折り合うのか。答えなどどこにもないなかで、それぞれの表現者が自分の言葉で震災を表現する、あるいは表現せずに沈黙するという態度決定をせまられている。
そんな中で仙台の広瀬ちえみが「垂人」15号に発表した次の句がいまのところ私にはもっとも印象的である。
松林だっただっただっただった 広瀬ちえみ
この「だった」には無量の「思い」が込められている。そして、川柳は今回も「思い」を越える批評性をもった震災句を生み出すことができないのだろうか。
最後に、覚書をふたつ。
関東大震災時の川柳については田辺聖子著『道頓堀の雨に別れて以来なり』に紹介されている。
野口裕は「週刊俳句」に「林田紀音夫全句集拾読」を延々と連載しているが、私の誤解でなければ、阪神淡路大震災に際して満足な無季俳句が書けなかったことが、紀音夫が俳句を断念した要因であるというのが野口の紀音夫論の要諦だと私は思っている。
悲惨な現実と拮抗するだけの言葉はどのようにして生まれるのだろうか。
2011年8月26日金曜日
2011年8月19日金曜日
人はそれを嘲魔と呼ぶ
鼻は人の顔面のど真ん中に付いている異物である。誰も鼻が自分の身体の一部であることを疑わない。けれども本当にそうなのか。
ゴーゴリの短編小説「鼻」は、鼻がある朝いなくなったしまう話である。鼻を失った八等官コワリョフは街中で一人の紳士に出会う。その紳士こそ彼の鼻だった。鼻は五等官の制服を着てカザン寺院へ入ってゆき、この上ない信心深い表情で祈っていた。カザン寺院はペテルブルグのネフスキー大通りに面している寺院である。ゴーゴリの作品は検閲を受けることが多かったが、この部分も不謹慎として検閲にひっかかり、作者は寺院をマーケットに書き換えさせられた経緯がある。
「もしもし、あなた」とコワリョフは鼻に話しかける。「あなたはご自分の居場所をご存じでなければならない。あなたは、私の鼻じゃありませんか」
鼻は次のように答えて去っていくのだ。
「君、何か思い違いをしておられるらしいな。私は私自身ですよ。私と君との間には何も密接な関係などない」
鼻は雑踏の中にまぎれてしまう。
けれども、炯眼な警官がいて鼻を逮捕する。
「いったいどうして見つかったんですね?」
「旅行に出かけようとしていたところを逮捕したというわけですよ。奴はもう駅逓馬車に乗り込んで、リガへ逃亡しようとしていたんです。旅券もある官吏の名前のを前もって手に入れていました」
この警官がコワリョフからお礼のお札を受け取ったことは言うまでもない。
安部公房の「S・カルマ氏の犯罪」でも「名刺」が本人とは別人格になって歩きまわる話がある。「名刺」だと寓意性が強くなりすぎるから、「鼻」の方が断然おもしろい。
さて、「バックストローク」35号から風刺性の強い句を抜き出してみる。
判決が出てリハツヤは貌を剃る 筒井祥文
何の判決が出たのかは知らないが、勝訴であれ敗訴であれ一つの判決が出たのだ。リハツヤは理髪屋だろうが利発屋かも知れない。自分の貌を剃っているのかも知れないし、客の貌を剃っているのかも知れない。ゴーゴリの「鼻」でも、理髪師はある朝とつぜん客の鼻を自宅で発見する。そんなものは家に置くなと女房に叱られた彼は、鼻をそっと川に捨てようとして警官に見とがめられるのだ。
文明が滅んだ後のモーニング 丸山進
丸山はついに文明を滅亡させてしまった。「モーニング」は単なる朝、モーニングコートの意味にもとれるが、私はモーニング・コーヒーと読んでいる。文明が滅んでも人はモーニング・コーヒーを飲んでいる。「一杯のお茶が飲めるなら世界なんて滅びてもかまわない」とはドストエフスキー『地下室の手記』の主人公の言葉だった。
多すぎて京へ繰り出す足の指 津田暹
ゴーゴリの「鼻」に話を戻すと、鼻の噂はペテルブルグ中に広がっていく。午後三時になると鼻がネフスキー大通りを散歩するらしいと聞いて、物好きな連中がおしかける。笑い話の種に困っていた社交界の常連たちはこの出来事を歓迎する。「鼻はいまユンケル商店にいるらしい」というので人だかりができ、露店が出たり、立見席をつくって料金をとる者まで現れる。
掲出句は誰が何のために京へ繰り出すのだろう。見舞客なのか、被災者のことなのか。それとも復興金のことなのだろうか。
原子炉を止める呪文を公募中 渡辺隆夫
今宵あたり13ベクレルの月夜かな
納棺式には一同ノーパンのこと
渡辺隆夫には三句登場してもらおう。
震災と原発事故を目の当たりにして、笑いは硬直する。なお笑おうとすれば、ブラックになる。「13ベクレルの月」の句は、樋口由紀子が「ウラハイ」の「金曜日の川柳」(8月5日)で取り上げている。
烏賊程に国家をすべる翁かな きゅういち
「烏賊程に」は当然「いかほどに」との掛詞である。「いかほどに国家を統べる翁かな」「烏賊ほどに国家を滑る翁かな」という両義性をもつが、どちらにしても風刺的であることに変わりはない。
牛蒡など握っていつまで桃太郎 石田柊馬
桃太郎は鬼退治の剣を握っているはずだが、それは牛蒡にすぎなかった。「いつまで桃太郎やってんねん」という突っ込みである。自分を桃太郎だと信じて疑わない存在は風刺対象になる。
原発へ騎馬民族を狩りに来る 松本仁
原発に騎馬民族はいない。あるのは原発村という共同体である。騎馬民族は異物として狩られる対象かも知れない。では、誰が狩りに来るのだろうか。国家権力だろうか、共同体の雰囲気がそうさせるのだろうか。
再びゴーゴリの話。『死せる魂』は死んだ農奴の名前を買い歩くチチコフという男の物語である。農奴制のロシアでは、死んだ農奴は次の調査まで(数年間かかる)生きているものとして扱われていた。チチコフはそのような死せる農奴の名前を2ルーブルで買い取り、大量の農奴(実在しない)の所有者として農地を請求しようとした詐欺師である。
第一部の終り、トロイカの場面は特に有名だ。
(トレチャコフ美術館で三人の子供たちが橇にのった重い荷物を苦しげにひいている絵画を見たことがある。絵のタイトルは「トロイカ」。このように使うと風刺的になる。)
ゴーゴリは風刺家としての天寿をまっとうできなかった。「否定的な笑い」が彼の作品の本質だったのに、「肯定的な笑い」へと作品を変化させようとしたのであった。
「嘲魔」(ちょうま)という言葉がある。
芥川龍之介は人間の中には「二つの自己」が住むと言っている。「活動的な、情熱のある自己」と「冷酷な観察的な自己」である。そして芥川は後者を「嘲魔」と呼んだ。「この嘲魔を却ける事は、私の顔が変えられないように、私自身には如何とも出来ぬ」芥川はこの二つの自己の分裂に苦しんだ。
ゴーゴリは人間を風刺的に眺めることから肯定的に眺めることへと移行しようとした。けれども、風刺的に描かれた人間が生き生きとしていたのに対して、肯定的に描かれた人間は生気のない作り物であった。ゴーゴリはそれを自己の道徳的低さと感じて自己を責めたのである。『死せる魂』はダンテの『神曲』になぞらえて第一部の地獄篇から第二部の煉獄篇、さらには天国篇へと昇華すべきものであったが、ゴーゴリには地獄は書けても天国は書けなかった。肯定的人間を描くことはゴーゴリの中の嘲魔が許さなかったのだ。
ゴーゴリは『死せる魂』第二部の原稿(の一部)を火中に投じて亡くなる。
彼が火中に投じた原稿を読んでみたいものだ。
ゴーゴリの短編小説「鼻」は、鼻がある朝いなくなったしまう話である。鼻を失った八等官コワリョフは街中で一人の紳士に出会う。その紳士こそ彼の鼻だった。鼻は五等官の制服を着てカザン寺院へ入ってゆき、この上ない信心深い表情で祈っていた。カザン寺院はペテルブルグのネフスキー大通りに面している寺院である。ゴーゴリの作品は検閲を受けることが多かったが、この部分も不謹慎として検閲にひっかかり、作者は寺院をマーケットに書き換えさせられた経緯がある。
「もしもし、あなた」とコワリョフは鼻に話しかける。「あなたはご自分の居場所をご存じでなければならない。あなたは、私の鼻じゃありませんか」
鼻は次のように答えて去っていくのだ。
「君、何か思い違いをしておられるらしいな。私は私自身ですよ。私と君との間には何も密接な関係などない」
鼻は雑踏の中にまぎれてしまう。
けれども、炯眼な警官がいて鼻を逮捕する。
「いったいどうして見つかったんですね?」
「旅行に出かけようとしていたところを逮捕したというわけですよ。奴はもう駅逓馬車に乗り込んで、リガへ逃亡しようとしていたんです。旅券もある官吏の名前のを前もって手に入れていました」
この警官がコワリョフからお礼のお札を受け取ったことは言うまでもない。
安部公房の「S・カルマ氏の犯罪」でも「名刺」が本人とは別人格になって歩きまわる話がある。「名刺」だと寓意性が強くなりすぎるから、「鼻」の方が断然おもしろい。
さて、「バックストローク」35号から風刺性の強い句を抜き出してみる。
判決が出てリハツヤは貌を剃る 筒井祥文
何の判決が出たのかは知らないが、勝訴であれ敗訴であれ一つの判決が出たのだ。リハツヤは理髪屋だろうが利発屋かも知れない。自分の貌を剃っているのかも知れないし、客の貌を剃っているのかも知れない。ゴーゴリの「鼻」でも、理髪師はある朝とつぜん客の鼻を自宅で発見する。そんなものは家に置くなと女房に叱られた彼は、鼻をそっと川に捨てようとして警官に見とがめられるのだ。
文明が滅んだ後のモーニング 丸山進
丸山はついに文明を滅亡させてしまった。「モーニング」は単なる朝、モーニングコートの意味にもとれるが、私はモーニング・コーヒーと読んでいる。文明が滅んでも人はモーニング・コーヒーを飲んでいる。「一杯のお茶が飲めるなら世界なんて滅びてもかまわない」とはドストエフスキー『地下室の手記』の主人公の言葉だった。
多すぎて京へ繰り出す足の指 津田暹
ゴーゴリの「鼻」に話を戻すと、鼻の噂はペテルブルグ中に広がっていく。午後三時になると鼻がネフスキー大通りを散歩するらしいと聞いて、物好きな連中がおしかける。笑い話の種に困っていた社交界の常連たちはこの出来事を歓迎する。「鼻はいまユンケル商店にいるらしい」というので人だかりができ、露店が出たり、立見席をつくって料金をとる者まで現れる。
掲出句は誰が何のために京へ繰り出すのだろう。見舞客なのか、被災者のことなのか。それとも復興金のことなのだろうか。
原子炉を止める呪文を公募中 渡辺隆夫
今宵あたり13ベクレルの月夜かな
納棺式には一同ノーパンのこと
渡辺隆夫には三句登場してもらおう。
震災と原発事故を目の当たりにして、笑いは硬直する。なお笑おうとすれば、ブラックになる。「13ベクレルの月」の句は、樋口由紀子が「ウラハイ」の「金曜日の川柳」(8月5日)で取り上げている。
烏賊程に国家をすべる翁かな きゅういち
「烏賊程に」は当然「いかほどに」との掛詞である。「いかほどに国家を統べる翁かな」「烏賊ほどに国家を滑る翁かな」という両義性をもつが、どちらにしても風刺的であることに変わりはない。
牛蒡など握っていつまで桃太郎 石田柊馬
桃太郎は鬼退治の剣を握っているはずだが、それは牛蒡にすぎなかった。「いつまで桃太郎やってんねん」という突っ込みである。自分を桃太郎だと信じて疑わない存在は風刺対象になる。
原発へ騎馬民族を狩りに来る 松本仁
原発に騎馬民族はいない。あるのは原発村という共同体である。騎馬民族は異物として狩られる対象かも知れない。では、誰が狩りに来るのだろうか。国家権力だろうか、共同体の雰囲気がそうさせるのだろうか。
再びゴーゴリの話。『死せる魂』は死んだ農奴の名前を買い歩くチチコフという男の物語である。農奴制のロシアでは、死んだ農奴は次の調査まで(数年間かかる)生きているものとして扱われていた。チチコフはそのような死せる農奴の名前を2ルーブルで買い取り、大量の農奴(実在しない)の所有者として農地を請求しようとした詐欺師である。
第一部の終り、トロイカの場面は特に有名だ。
(トレチャコフ美術館で三人の子供たちが橇にのった重い荷物を苦しげにひいている絵画を見たことがある。絵のタイトルは「トロイカ」。このように使うと風刺的になる。)
ゴーゴリは風刺家としての天寿をまっとうできなかった。「否定的な笑い」が彼の作品の本質だったのに、「肯定的な笑い」へと作品を変化させようとしたのであった。
「嘲魔」(ちょうま)という言葉がある。
芥川龍之介は人間の中には「二つの自己」が住むと言っている。「活動的な、情熱のある自己」と「冷酷な観察的な自己」である。そして芥川は後者を「嘲魔」と呼んだ。「この嘲魔を却ける事は、私の顔が変えられないように、私自身には如何とも出来ぬ」芥川はこの二つの自己の分裂に苦しんだ。
ゴーゴリは人間を風刺的に眺めることから肯定的に眺めることへと移行しようとした。けれども、風刺的に描かれた人間が生き生きとしていたのに対して、肯定的に描かれた人間は生気のない作り物であった。ゴーゴリはそれを自己の道徳的低さと感じて自己を責めたのである。『死せる魂』はダンテの『神曲』になぞらえて第一部の地獄篇から第二部の煉獄篇、さらには天国篇へと昇華すべきものであったが、ゴーゴリには地獄は書けても天国は書けなかった。肯定的人間を描くことはゴーゴリの中の嘲魔が許さなかったのだ。
ゴーゴリは『死せる魂』第二部の原稿(の一部)を火中に投じて亡くなる。
彼が火中に投じた原稿を読んでみたいものだ。
2011年8月5日金曜日
同人誌という「場」
文芸の創作は机に向かって作品を書く孤独な作業である、というようなロマンティックな文芸観はいまどき流行らないだろう。作品を書くには「場」が必要であり、作品創造のためには師友や雑誌などの刺激的な環境が必要となる。
川柳の場合、そのような「場」の中心となるのが句会であった。「座の文芸」という言葉は本来「連句」について言われるべきものだが、近年では「俳句」や「川柳」についても「座の文芸」という言葉が使われることがある。川柳の場合、「座」とは句会・大会のことになるだろう。句会・大会では「題」がだされて、その題に従って参加者は作句する。兼題、席題があるのは俳句の場合と同じだが、「題」そのものを言葉として詠み込む場合と詠み込まない場合とがある。変わり種としては、「イメージ吟」と称して絵や写真をみて作句することもある。
結社の場合、句会・大会の結果は結社誌に掲載される。発表誌だけを冊子にして作る場合もある。川柳誌の多くは投句欄と句会報を合体させたようなものが多い。
インターネットの普及によって、川柳においても掲示版やブログがぼつぼつ見られるようになってきているが、短歌・俳句に比べると質量ともに見劣りがするし、川柳のウェブ・マガジンはまだ存在しない。
どのような才能も孤独な作業だけでは文芸活動を持続することは困難であるし、何よりも作品発表の媒体を必要とする。文学的な環境や人間関係もふくめて、その人が作句を持続してゆくための財産なのである。今回はそのような「場」の問題として、同人誌の在り方について考えてみたい。
7月・8月にいくつかの俳誌を送っていただいたので、まず俳誌の場合を見てみよう。
八田木枯代表、寺澤一雄編集発行の「鏡」創刊号。寺澤と八田が「晩紅」の打ち合わせをしているうちに「晩紅」は休刊にして、新誌を始めようということになったらしい。誌名は八田木枯の句集『鏡騒』とも関連する。
水鳥はうごかず水になりきるや 八田木枯
キーボード顔は正面から古ぶ 中村裕
はみがきの最後をしぼる鳥の恋 西原天気
分からないのに手をあげる春うらら 寺澤一雄
辻の朧へ竹竿売の行つたきり 羽田野令
「週刊俳句」220号(7月10日)に長嶺千晶が「俳人はなぜ俳誌に依るのか」という文章を書いている。長嶺は「ひろそ火 句会.com」(木暮陶句郞)・「紫」(山﨑十生)・「鏡」の三誌を取り上げて、「集うことが楽しそう」「座という交わりの場があれば、そのときの句作のエネルギーは倍加する」と述べている。このような同人誌の必要性は川柳の場合でも同様だろう。
俳句同人誌「里」が101号を発行している。編集人・仲寒蝉、発行人・島田牙城。〈それぞれが「俳」とは何かを探求する同人誌たらんと百号まで歩んできた〉という。そこで特別企画「俳とは」を組んで、詩人の和合亮一をはじめ18人による辞書解説バージョンによる考察を掲載している。中でも冨田拓也が次のように書いているのが印象的であった。
〈 「俳」とは、一言でいうならば「既成概念や固定観念の打破と再編」ということになろう。万象は常に須く動き、流れている。この世界において停滞の状態を示し続けているものは基本的には存在しない。流れを伴わないものは自ずから衰亡し消滅してしまう運命にある。流れを停滞させないためには常に何らかの変化や交替が必須であり、例えばそれは人という存在自体における生命活動や意識の在りよう等に関しても例外ではなく、また俳句をも含む文芸全般についてもおよそ同様のことがいえるはずである 〉
「里」101号出立式として、8月6~8日、京都・義仲寺・伊賀上野などで記念句会が開催されるという。
「垂人」(たると)15号(7月31日発行)は中西ひろ美(俳人)と広瀬ちえみ(柳人)の二人による編集発行で、川柳・俳句交流の場を提供している。俳人・川柳人による作品のほか、鈴木純一の文章「てふ」「ぱんたらい」や「押しかけ三人句会」(矢本大雪・鈴木純一・中西ひろ美)、「坂間恒子句集『硯区』を読む」(広瀬ちえみ)などを掲載してヴァラエティに富む。仙台在住の広瀬が震災にあったため発行が遅れたようだが、〈ちえみとひろ美が生きていれば「垂人」は出せる〉という中西の編集後記に同人誌発行のモチーフがあらわれている。川柳人の作品から二人ご紹介する。
会いましょうメタセコイアの木の下で 高橋かづき
勤労禁止新郎近視蜃気楼
ふゆぞらそらんじ ゆうぞらふゆうする
この世には大きな馬糞残すのみ 広瀬ちえみ
三月の体にことごとくガラス
松林だっただっただっただった
「触光」23号(8月1日発行)は野沢省悟編集発行。3月に亡くなった大友逸星を追悼して、作品抄を掲載している。「絆」という連作から。
西瓜割り深い絆と言うてみよ 大友逸星
放火犯人と朝飯を食っている
脆いので家族揃って飯を食う
たんぽぽよあみだくじなど始めよう
「触光的時事川柳」のコーナーは渡辺隆夫選で好調だが、今回の隆夫は中村冨二の作品を引用している。特に冨二の次の二句は現在にも当てはまる射程距離をもっている。
墓地で見た街は見事な嘘だった 中村冨二
内閣総理大臣という字を少年よ、書けなくてもよい
「水脈」28号(8月1日発行)は浪越靖政編集。「イメージ吟」が掲載されているので、紹介する。絵や写真ではなくて、三好達治の詩「春」によって川柳を作っている。
「鵞鳥。―たくさん一緒にいるので、
自分を見失わないために啼いています」
群衆のひとりで烽火あげている 笑葉
おとなになってしまったぼくはやみに 守
うしろ向くのがおまえの流儀 涼子
輪をぬける足を大きく組みかえて 麗水
元の詩の説明にならずに川柳にするところに工夫を要する。
以上、俳句・川柳の同人誌が「場」としてどのように機能しているかという視点から諸誌を見てきた。結社誌はさておき、同人誌は川柳人にとっても作品発表の場として大切にされなければならない。それは、単に出来上がった作品を発表する媒体というにとどまらない。「場」を共有する表現者たちが存在するから、相互刺激によって作品を書く持続的エネルギーが生まれるのである。
短詩型文学の世界の中で、新誌が生まれ、また旧誌が消えていく。永遠に続くものなどないのは当然だが、どのように創造的な場を確保するかは表現者にとって切実な問題であろう。
来週は夏休みをいただいて一回休刊します。次回は8月19日(金)にお目にかかりましょう。
川柳の場合、そのような「場」の中心となるのが句会であった。「座の文芸」という言葉は本来「連句」について言われるべきものだが、近年では「俳句」や「川柳」についても「座の文芸」という言葉が使われることがある。川柳の場合、「座」とは句会・大会のことになるだろう。句会・大会では「題」がだされて、その題に従って参加者は作句する。兼題、席題があるのは俳句の場合と同じだが、「題」そのものを言葉として詠み込む場合と詠み込まない場合とがある。変わり種としては、「イメージ吟」と称して絵や写真をみて作句することもある。
結社の場合、句会・大会の結果は結社誌に掲載される。発表誌だけを冊子にして作る場合もある。川柳誌の多くは投句欄と句会報を合体させたようなものが多い。
インターネットの普及によって、川柳においても掲示版やブログがぼつぼつ見られるようになってきているが、短歌・俳句に比べると質量ともに見劣りがするし、川柳のウェブ・マガジンはまだ存在しない。
どのような才能も孤独な作業だけでは文芸活動を持続することは困難であるし、何よりも作品発表の媒体を必要とする。文学的な環境や人間関係もふくめて、その人が作句を持続してゆくための財産なのである。今回はそのような「場」の問題として、同人誌の在り方について考えてみたい。
7月・8月にいくつかの俳誌を送っていただいたので、まず俳誌の場合を見てみよう。
八田木枯代表、寺澤一雄編集発行の「鏡」創刊号。寺澤と八田が「晩紅」の打ち合わせをしているうちに「晩紅」は休刊にして、新誌を始めようということになったらしい。誌名は八田木枯の句集『鏡騒』とも関連する。
水鳥はうごかず水になりきるや 八田木枯
キーボード顔は正面から古ぶ 中村裕
はみがきの最後をしぼる鳥の恋 西原天気
分からないのに手をあげる春うらら 寺澤一雄
辻の朧へ竹竿売の行つたきり 羽田野令
「週刊俳句」220号(7月10日)に長嶺千晶が「俳人はなぜ俳誌に依るのか」という文章を書いている。長嶺は「ひろそ火 句会.com」(木暮陶句郞)・「紫」(山﨑十生)・「鏡」の三誌を取り上げて、「集うことが楽しそう」「座という交わりの場があれば、そのときの句作のエネルギーは倍加する」と述べている。このような同人誌の必要性は川柳の場合でも同様だろう。
俳句同人誌「里」が101号を発行している。編集人・仲寒蝉、発行人・島田牙城。〈それぞれが「俳」とは何かを探求する同人誌たらんと百号まで歩んできた〉という。そこで特別企画「俳とは」を組んで、詩人の和合亮一をはじめ18人による辞書解説バージョンによる考察を掲載している。中でも冨田拓也が次のように書いているのが印象的であった。
〈 「俳」とは、一言でいうならば「既成概念や固定観念の打破と再編」ということになろう。万象は常に須く動き、流れている。この世界において停滞の状態を示し続けているものは基本的には存在しない。流れを伴わないものは自ずから衰亡し消滅してしまう運命にある。流れを停滞させないためには常に何らかの変化や交替が必須であり、例えばそれは人という存在自体における生命活動や意識の在りよう等に関しても例外ではなく、また俳句をも含む文芸全般についてもおよそ同様のことがいえるはずである 〉
「里」101号出立式として、8月6~8日、京都・義仲寺・伊賀上野などで記念句会が開催されるという。
「垂人」(たると)15号(7月31日発行)は中西ひろ美(俳人)と広瀬ちえみ(柳人)の二人による編集発行で、川柳・俳句交流の場を提供している。俳人・川柳人による作品のほか、鈴木純一の文章「てふ」「ぱんたらい」や「押しかけ三人句会」(矢本大雪・鈴木純一・中西ひろ美)、「坂間恒子句集『硯区』を読む」(広瀬ちえみ)などを掲載してヴァラエティに富む。仙台在住の広瀬が震災にあったため発行が遅れたようだが、〈ちえみとひろ美が生きていれば「垂人」は出せる〉という中西の編集後記に同人誌発行のモチーフがあらわれている。川柳人の作品から二人ご紹介する。
会いましょうメタセコイアの木の下で 高橋かづき
勤労禁止新郎近視蜃気楼
ふゆぞらそらんじ ゆうぞらふゆうする
この世には大きな馬糞残すのみ 広瀬ちえみ
三月の体にことごとくガラス
松林だっただっただっただった
「触光」23号(8月1日発行)は野沢省悟編集発行。3月に亡くなった大友逸星を追悼して、作品抄を掲載している。「絆」という連作から。
西瓜割り深い絆と言うてみよ 大友逸星
放火犯人と朝飯を食っている
脆いので家族揃って飯を食う
たんぽぽよあみだくじなど始めよう
「触光的時事川柳」のコーナーは渡辺隆夫選で好調だが、今回の隆夫は中村冨二の作品を引用している。特に冨二の次の二句は現在にも当てはまる射程距離をもっている。
墓地で見た街は見事な嘘だった 中村冨二
内閣総理大臣という字を少年よ、書けなくてもよい
「水脈」28号(8月1日発行)は浪越靖政編集。「イメージ吟」が掲載されているので、紹介する。絵や写真ではなくて、三好達治の詩「春」によって川柳を作っている。
「鵞鳥。―たくさん一緒にいるので、
自分を見失わないために啼いています」
群衆のひとりで烽火あげている 笑葉
おとなになってしまったぼくはやみに 守
うしろ向くのがおまえの流儀 涼子
輪をぬける足を大きく組みかえて 麗水
元の詩の説明にならずに川柳にするところに工夫を要する。
以上、俳句・川柳の同人誌が「場」としてどのように機能しているかという視点から諸誌を見てきた。結社誌はさておき、同人誌は川柳人にとっても作品発表の場として大切にされなければならない。それは、単に出来上がった作品を発表する媒体というにとどまらない。「場」を共有する表現者たちが存在するから、相互刺激によって作品を書く持続的エネルギーが生まれるのである。
短詩型文学の世界の中で、新誌が生まれ、また旧誌が消えていく。永遠に続くものなどないのは当然だが、どのように創造的な場を確保するかは表現者にとって切実な問題であろう。
来週は夏休みをいただいて一回休刊します。次回は8月19日(金)にお目にかかりましょう。