2015年12月25日金曜日

2015年極私的回顧

しばらく休んでいたが、とりあえず今年の回顧を書きとめておきたい。例年通りごく個人的な感想である。

今年出版された作品集のなかでもっとも印象的だったのは『冬野虹作品集成』全三巻(書肆山田)である。2002年2月に亡くなった冬野虹の俳句・詩・短歌を収録したもの。第Ⅰ巻『雪予報』、第Ⅱ巻『頬白の影たち』、第Ⅲ巻『かしすまりあ』。生前に刊行されたのは句集『雪予報』だけだから、それ以外は四ツ谷龍の編集による。
句集『雪予報』から。

陽炎のてぶくろをして佇つている   冬野虹
鳥の門みどりのからだ運びだす
つゆくさをちりばめここにねむりなさい
たくさんの鹿現はれて琵琶を弾く

この時期の冬野が俳誌「鷹」に所属し、藤田湘子の選を受けていたというのは興味深い。その後、彼女は四ツ谷龍と二人誌「むしめがね」を創刊する。
次に歌集『かしすまりあ』から。

春の空は白磁の皿に降りてきておどろきやすき翅をもつかな  冬野虹
すぐ怒る声よりさきに鈴虫の声のパウダーふりかけなさい
みんな帰ったか眠ったか たぷたぷうちよせて神経の先水にひたして

文体は文語もあり口語もあり、詠まれている内容も多彩である。
「むしめがね」20号(11月10日)は冬野虹の特集を行っている。四ツ谷龍の「あけぼののために」は冬野の人と作品について丁寧に書き留めている。
冬野の作品は誰もが「繊細」というが、それは彼女の作品には「詩」(「夢」と言い換えてもいいかもしれない)があるということだろう。ジャンルとしての詩ではなくて、ポエジー(実生活とは次元の異なる詩的なもの)である。だから、俳句・短歌・詩と形式は異なっても、通底するところがあるのだろう。作者に会ったことがなくても、作品の向こうに存在する「冬野虹」とはとても魅力的なひとだっただろうと思うのである。

川柳に眼を転じると柳本々々(やぎもと・もともと)の活躍が目立った。
昨年は「謎の読み巧者」として正体不明の存在だったが、今年は関西でのイベントにも登場し、ベールを脱いだ感がある。5月の「とととと展」、9月の「川柳カード大会」でパネラーをつとめ、存在感を見せつけた。
柳本は短歌では「かばん」に、川柳では「おかじょうき」「旬」に所属している。ネットではブログ「あとがき全集」を驚異的なスピードで更新しており、「川柳スープレックス」「アパートメント」など活動の場が広い。
飯島章友とならんで、短歌と川柳の二つの形式で作品を書く表現者として注目される。

実作者としては榊陽子が川柳誌を賑わせた。
「杜人」247号、「榊陽子のレトリック」について兵頭全郎と酒井かがりが書いている。
兵頭は、榊が大会・句会に強いタイプの作者であること、それは作者のすぐれたバランス感覚によること、バランス感覚は作句と同時に読み手として句を見返す術を身につけていることから生まれること、そして最近の榊の句はこのバランス感覚をいったん崩すことによってさらなるステップアップを予感させることなどを述べている。
酒井は、白雪姫(榊陽子)が七人の小人のことを語る設定で榊の作品を分類している。
「川柳木馬」146号の「作家群像」は榊陽子篇。榊の60句に石田柊馬、飯島章友の作品論が付いている。
作品を誰も読んでくれないあいだは安全無事である。注目され論じられることは作品の弱点が露わになるかもしれない不安を伴うものだが、榊自身は「たまたまいろいろ重なっただけですよ」とアッケラカンとしている。

枝豆で角度がリリー・フランキー   榊陽子
しばかれてごらん美しすぎるから

ここで川柳の発信のあり方について振り返っておく。
まず、川柳の句集がずいぶん発行されるようになったのが嬉しい。
滋野さち句集『オオバコの花』(東奥文芸叢書)、竹井紫乙句集『白百合亭日乗』(あざみエージェント)、朝妻久美子『君待雨』(左右社)など川柳句集を扱う出版社も増えてきた。
川柳カード叢書からも、昨年の『ほぼむほん』(きゅういち)に続いて、今年は飯田良祐句集『実朝の首』、久保田紺句集『大阪のかたち』の二冊を発行した。
短詩型諸ジャンルの書籍を扱う「葉ね文庫」(大阪・中崎町)の存在は、文芸に関心のある読者の交流の場としても貴重だ。
「文学フリマ」は東京以外の各地でも開催されるようになった。大阪開催は今年で三回目だが、今年は「川柳カード」が川柳から唯一の参加。川柳人にもっと参加してほしいのは、短歌など他ジャンルの活気に触れてカルチャー・ショックを受ける必要があるからだ。
ネット、SNSからの発信も盛んになってきた。川柳人のブログもいくつかあるが、まだまだ少数なので、みなさん情報発信につとめていただきたい。

以前に比べると、ジャンルを越えた交流がごく自然に行なわれるようになってきているが、その一方でジャンル意識は依然として強固な面もある。私がもっともなじめないのは「ジャンルのなかでの自己完成」という態度である。世界は広いのだ。

10月以降、いろいろな川柳誌が発行され、相手取るべきものが多々あるのに、時評の役割を果たせていない。ゆるゆる行こうと思うが、来年は1月8日から再開する予定。なお、前回の「石部明の世界 その一」、別に問い合わせはないのだが、「その二」は来年十月の石部明忌の時期になることを付け加えさせていただく。では、よいお年を。